喜ばれ続けることが、阿刀田実の原点です。

阿刀田実の「あとから実る」19~20

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「故郷・・・長岡~東京・・・戦時下」
中学時代(昔は中学は5年でした)はまさに太平洋戦争の最中であり、
中学生でも軍事訓練はかなり厳しく行われました。
軍隊さながらの射撃訓練や歩行訓練や夜間訓練等を散々やらされました。
特に辛かったのは完全武装で昔の浅川駅(今の高尾駅)からの
高尾山の夜間登山訓練であり、中学生にはとても辛いものでした。
夜明けでほっとしたら浅川駅まで(約6km)
駆け足との命令で全員が“ええー”と言い出したものでした。
それでも走らないと教官に怒られるため頑張りましたが、
私は途中で駄目になりそうになりました。
その時友人の確か我妻君(?)であったと思ますが、
私の銃を持ってくれて2本の銃をかついで浅川駅まで併走してくれたことを
よく覚えています。
彼のお陰で何とか駅までたどりつき、
教官に殴られないで済んだことを覚えています。
今でも我妻君に心から感謝していますが、中学卒業以来彼には一度も合っていません。
友人の話しによると彼は特攻に志願したとのことなので
或いは戦死したかも知れません。
彼のように男らしく、強く思いやりのある男が数多く亡くなって行ったのではないかと 思い、   戦争の悲劇を痛感しています。
勇者に黙祷!!


阿刀田実の「あとから  実る」20

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「故郷・・・進路は何処」
昭和19年に私は中学を卒業(正確には四学年修了)することになりましたが、
その時期には丁度、東大生等の文科系の学生の学徒出陣がありました。
この時の明治神宮での行進は今でも時々テレビ等で写し出されています。
先生方は我々に対し、これから文科系に進むと学徒出陣の対象となると言い、
理科系に進むことを勧めていました。
また、東京は危ないから地方の学校に進むのが安全であると強調していました。
親心と思います。一方、同級生の中では海兵,陸士に行く人も大勢いました。
私も軍人にあこがれていましたが、軍人になるには身長5尺5寸(約165cm)で、 裸眼1.2で、かつ難しい試験に合格しなければなりませんでした。
勉強の方はともかくして身体の条件に当て嵌まらず断念せざるを得ませんでした。
前記の先生の進めもあり、卑怯と思いましたが故郷の工科系の高等学校に進みました。
自分が理系なのか文系なのかを考えることなく
以後の進む道を決めてしまいましたことを後悔しておりますが、
これも私に定められた運命の分岐点の1つだとあきらめています。
この時代に自分の意志をもって自分の望む道に進んだ友人に対して
尊敬の念を今でも持っています。

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