喜ばれ続けることが、阿刀田実の原点です。

阿刀田実の「あとから 実る」43,44

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 「進学の志」
 東京で色々の情けなさを感じさせられましたが、
特に理由はなかったようですがこれからはどうしても東京に出なければならないと
その時強く感じ、勉強して東京の大学に入ることを決心しました。
 当時は高等工業を卒業すれば一人前の技術者として取り扱われたもので、
大学に進む人は殆どいませんでした。
卒業論文や卒業実験等の数多くの行事をこなしながらの受験勉強はとても大変でした。
今でもその時の勉強と後で行った資格取得のための勉強は、
私の人生の最大のものになりました。
 進学の受験勉強で特に力のなかった英語の勉強では4000文字の単語を
2時間位で暗唱できる程の無理な勉強を行った結果、本当に頭が狂いました。
ここまでやらなくてもと今は思いますし、何か無駄なように思いますが、
当時は真剣でした。この頭の狂いは大学受験日の1~2ヵ月前に発生し、
自分の居場所がわからなくなる奇病でした。
 この奇病が出るとものすごく頭が痛くなり、
数時間は寝ていなければならない状態になります。
何の病気なのか医者にかからなかったので解りませんが、
とにかく辛く大学受験を諦めざるを得ない状態でした。
 両親は今年は高等工業を卒業し、
来年大学受験をすればよいのではないかと強く言われましたが、
どうしても諦めきれず不合格を覚悟で受験に挑戦しました。
 運よく合格しましたが、これも私の運の強さであり、
自分の努力によるものと思っておりません。


阿刀田実の「あとから 実る」44

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 「東京~学生~下宿」
 誰一人友人もなく、大学に進みましたが大学とは変な所で入学式は有りましたが
その後の色々な説明もなく、担任の先生など勿論なく、
田舎者であった私はどうすればよいか解らない日々が続きました。
 同僚は皆、ある教室に入って授業らしきものを受けているのですが、
その辺の所がよく解らず教務室に聞きに行ったことを覚えています。
 全く子供だったと今思いますが、
大学は当然ながら自分で自分の道を決めるように出来ており、
その辺の所の解らない自分であったことを今ではかえって懐かしく思っています。
 私は初台に三食付きの下宿をして新宿を通って登校していました。
この下宿生活も色々の思い出があり、当時の下宿生活等についても書きたい所ですが
省略します。
 但し、その時のお世話になった下宿のお婆さんやおばさんそして私より1つ2つ下の 君(名前を忘れました)は今どうしているのでしようか?とても感謝しております。

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